「恋はみずいろ」を聴きながら

北海道釧路市で不動産鑑定士をしております小原孝太郎と申します。普段の生活を中心に書いてます。

アジアリーグ地元最終節。

今日は釧路市内でも有数の大型スーパーが閉店し、古くから地元に根差してきたアイスホッケーチームのレギュラーシーズン地元最終戦が行われました。節目の日曜日だったといえるかもしれないです。


私も地域にとっては、ネガティブなニュースなので、この種のブログ発信はやめようかと思ってました。


でも、悲しいニュースだと捉えるのではなく、こう考えることにしました。


私は地元アイスホッケーチームを、家族みんなで応援できることにギリギリだったけれど、間に合った。

私は今日閉店になったお店で、家族で買い物を楽しむことにギリギリだけど、間に合った。

私は事情があって、不動産鑑定士になってすぐ釧路に戻ってくることができなかったけれど、こうやって今まで厳しい環境下で支えながら待ってくれた方々がいたのだと。物事には何でも終わりがあるけれど、うまくつなげることが出来たのだと。そう考えることにしました。


昨日、妻と息子と三人で、アイスホッケーを観戦しました。妻も息子も実際にアイスアリーナに足を運んで、実際に観戦したのは初めてで、迫力に圧倒されてました。延長戦の末、負けてしまったけれど、観て楽しかったと言ってもらえて嬉しかったです。息子が小学生ぐらいになったら、家族みんなで応援しに行きたいね、と言っていたので、本当にギリギリ間に合ったんだな、そう思いました。


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(私自身も十年ぶりに観戦しました。家族で釧路のホームゲームを観られたことにまずは感謝です)


私自身も来シーズンどうなるかわからない中、懸命にプレイする選手達から、反対に元気をもらった気がします。


昨日はすごく良い試合を見せていただきました。両チームの選手にまずは感謝です。今シーズン、クレインズ、なんとかプレイオフに残って欲しいですね。



センター試験評論文と「ボヘミアン・ラプソディー」

昨日、今日と大学入試センター試験でしたね。受験された皆さん、お疲れ様でした。私は毎年、センター試験の現代文の「評論文」と「小説」を読んでます。「評論文」は世相を反映している文章なので、社会人の私でも勉強になります。「小説」は全くの趣味(笑)、好奇心からです。


今年の評論文は、「翻訳」がテーマでした。筆者が書かれている通り、外国語を日本語に訳するというのは、非常に難しいし、両方の文化をきちんと理解していないと難しいことなのかもしれません。

ツイッターでも、例えばアメリカのトランプ大統領の英語のツイートも日本語で簡単に翻訳される機能が付いているので、非常に妙な訳の時もあるのだけれど、英語のツイートであっても大体の意味は分かるようになってきています。だから、翻訳というものを安易に考えがちなのかもしれないけれど、それに待ったをかける、そういう評論でした。

突き詰めて正確な翻訳となると、いろいろな問題があるのですね。「こなれた日本語」が必ずしも正確な訳ではないという趣旨のことが書かれてました。直訳しすぎても違和感が出るし、意訳しすぎても正確さを欠く場合もありうるのだと。考えてみると外国語を訳すということは難しいものですよね。



話は大きく変わりますが、今日ようやく、いろいろな方から勧められていた映画「ボヘミアン・ラプソディー」を鑑賞することが出来ました!英国のロックバンド・クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの活躍と苦悩が描かれた映画です。クイーンのアルバム、「世界に捧ぐ」とか「オペラ座の夜」等、大学時代によく聴いてましたが、今回映画の中で初めて知ったことも多かったです。

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さて、映画のラストの方で、代表曲「伝説のチャンピオン」を歌うシーンがあります。今でこそネットのおかげで洋楽の歌詞って何通りも訳し方がありうると簡単に知りうるのですが、当時の私はCDアルバムの歌詞カードしか知らなかったので、この曲の一節「負け犬のための時間はない」というのが、すごくダイレクトというか、やけに攻撃的な文言だなと感じた記憶があります。今でもすごく記憶に残っている日本語訳です。今ネット上で洋楽の歌詞を意訳して、サイトやブログで公開している方がいらっしゃいますが、この部分をもっとソフトに解している方もいらっしゃるようです。私はクイーンをリアルタイムで知っている世代ではなく、チャリティーライブの活動をしていた時のイメージが強いので、クイーンは伝説の、世俗的なものを感じせない、人格者のメンバーで構成されているロックバンドなのかなと思っていた節があって、上記の「負け犬に用はない!」というのはかなりキツイ、直球表現すぎないか…と感じてました。


でも、今日この映画を観て、やっぱり歌詞カードの翻訳が正しかったのだと思い直しました!セクシャリティの面でも、人種的な意味でも、色んなことと闘ってきたことを考えると、これくらいパンチの効いた歌詞を書いても全然おかしくないですよね。あそこまで、いろんな攻撃を受けたり、軋轢があったらセックスピストルズみたいなパンク路線(反体制)に走っても全然おかしくなかったのに、反対に広く多くの人に愛される楽曲を提供し続けたのは、人間的にも本当に強い方だったのだな、と思います。


話を元に戻すと、映画の字幕であれ、海外小説の翻訳であれ、翻訳のお仕事されている方は、本当にいろいろ頭を悩ませながら、仕事をされているんだなと、今日は字幕を目で追いながら考えてました。朝センター試験の評論を読んでから、この映画を観て良かったです。地元では暗いニュースも多いですが、また前向いて頑張っていこうという元気をもらった気がします。この映画を薦めてくれた方々に感謝したいし、公開からしばらくたってからの鑑賞になってしまったけれど、私にとってはセンター試験の国語の翌日に観て、いいタイミングだったのかな…?とも感じた映画鑑賞でした(笑)

平成最後の直木賞・芥川賞発表を見て

昨夜は平成最後の直木賞芥川賞の発表かあり、テレビニュースで受賞作を知りました。直木賞真藤順丈さんの「宝島」という戦後の沖縄を舞台にした作品に決まったとのこと。真藤さんが沖縄出身ではなく、東京のご出身であることをニュースは伝えてました。地元ではない視点で重いテーマを描くことに葛藤して、筆が止まったとおっしゃってましたが、それは地元出身者でも全く同じか、それ以上でもなのではないかと考えてしまいました。


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読書会に参加してからか、新旧の直木賞芥川賞受賞作の作品を読む機会が増えた気がしますが、考えてみると、どの作品も何か心に深く刻まれる「何か」があるような、そんな気がします。どんな人でも一つは小説や物語を書けるものだよと、何処かで聞いたことがありますが、その渾身の作品が直木賞芥川賞にはあるのかもしれませんね。

 

また、受賞作を実際読んでみると、ものすごく世相や社会情勢を反映している作品が多いように感じるのです。(「おらおらでひどりいぐも」とか「コンビニ人間」とか…)芥川賞の方では仮想通貨を題材にした作品が受賞したらしいと新聞で読みました。新元号のもとではどんな作品が登場してくるのか楽しみにしつつ、私個人としては今回の受賞作三つの内、地方暮らしの私としては「宝島」を一番読んでみたいと思っています。それにしても、沖縄の小説を東京の方が書いたり、巨大企業の脱税が海外で摘発されたり、イギリス議会がEU離脱を否決したり…どんどん世界はボーダーレスになっていると感じてしまいました。

新年早々、釧路市博物館へ。

今日で、うちの息子の幼稚園の冬休みが終わります。この冬休みは室内でマリオカートをする程度でかあまり一緒に活動できなかったけれど、新年早々(正月明けすぐに)博物館に行ってきました。これが繁忙期の合間だったからか、非常に面白かったです。


一年ほど前に、釧路根室地方の簡易軌道の特別展を見に行ったことがありましたが、昨年11月からは常設展示に切り替わったとのこと。釧路の周辺町村の移り変わりを貴重な資料で振り返ることができます。

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今まで少年時代から何度も通ったことがあるのに気づかなかったものもあります。たまたま小林多喜二氏の「蟹工船」を読んでいたからでしょうか、小型の動力船「川崎船」のエンジンが展示されているのが目に入ってきて、息子と一緒についついじっくり見てきました。釧路の平成5年の大地震の時、一部破損したそうです。釧路の歴史とともに歩んできたエンジンなのですね。最近読んでいる本の内容が、共時的に目の前で起きるような、不思議なことが増えた気がします。気のせいでしょうか。


展示されている野生動物の剥製も、前来た時よりすごく見やすく展示されていた気がします。音声付きガイドもあってびっくりしました。


以上、今日は冬休みの数少ない思い出を書いてみました。ところで、今年の釧路、雪が少ないので、除雪は楽ですが、冬祭りなどのイベントなど、大丈夫かな〜と心配しています。




井上靖さん「おろしや国酔夢譚」が届く

去年から井上靖さんの小説を好んで読むようになりました。まだ全ての作品を読んだわけではないですが。歴史モノであれば、歴史に残る英雄、英傑を主人公にするのではなく、無名の人物を主人公にする作品が多いのが、自分に合っているのかもしれません。

今日は地元の本屋さんが「おろしや国酔夢譚」を届けてくれました。江戸時代にロシアに漂流した大黒屋光太夫とその部下達が物語の主人公です。この作品、高校時代にテレビ映画で観た記憶があります。女王様に謁見するシーンをはじめ、映画もすごくインパクトがあったのですが、その時は原作者が誰かとか、原作を手にとって実際読んでみようなどとは全く考えてませんでした。
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時代の流れが早い時代に生きているからでしょうか、自らの専門性や経験など自分の力が及ばないような全く別世界に、放り込まれてしまった時、自分だったら、どう行動し、どう克服するのか?日々のことに感謝しつつも、そんなことを最近考えるようになりました。人間としての本質、そういうものを感じとれたら良いかなと思っています。この作品を読むのはもう少し先になりそうですが、読むのが楽しみです。

小林多喜二氏「蟹工船・党生活者」を読み終えて

ブログを休みがちでしたので、今日三記事目になります。


昨年末、釧路市内で開催された「海」をテーマにした朗読会で拝聴したのをきっかけに小林多喜二氏の「蟹工船」そして新潮文庫版ではカップリング(?)の作品「党生活者」を今朝早朝に読み終えました。「ヴェニスの商人」に次いで、今年二冊目に読み終えた本になります。


プロレタリア文学にカテゴリーされることもあって、政治的メッセージ性が強いのかなと敬遠してきましたが、今回実際に読んでみて「蟹工船」に関しては北海道の開拓史の一面を垣間見ることができて良かったですが、「党生活者」の方は今表現の自由や思想の自由が憲法上保障されている今読んでも、正直違和感を感じてしまいました。革命家というものは短命だといいますが、そこまで自分や仲間を犠牲にして…という思いがどうしてもあります。以前読んだ三浦綾子さんの「母」を読んだからかもしれません。「母」は母親側から見た独白形式、この「党生活者」は息子側からの独白形式になっています。


私は人間が出来ることには限界があると考えてしまいがちでして、こうやって様々な工作活動をして社会を変えていくという能動的なタイプではない、それが大きいのかもしれません。いろいろな考え方があるとは思いますが、とにかく自分が平和な時代に生まれたことに感謝しなければならないと感じました。時代や考え方が全然違っても、この作品も実際にちゃんと読んで良かったです。やはり古典と呼ばれる小説には何かを伝えるエネルギーがあると今回も感じました。


最後に…この小説を読んだからといって現状の体制に、何か強い不満を持っているわけではないことをちゃんと付け加えておきたいと思います(笑)



ニンテンドーSwitch入門。

堅い話題が続いた気がするので、たまには柔らかい話題を。


わが家の昨年末の子ども向けのクリスマスプレゼントが任天堂 Switchというゲーム機だったのですが、(まだ小学生にもなっていないのに早すぎるのではないかという私の意見は押し切られてしまった…笑)元旦前後は仕事の関係で全く息子と遊んであげられず、昨日、今日とようやくこのゲーム機で一緒に遊ぶことができました!


若い方や息子と今の子ども達が読んだら、笑われてしまうことを覚悟の上で、感じたことを書きます(笑)


まず、カルチャーショックだったのは、ゲーム機本体にセーブ機能という概念自体がないこと。私が最後にゲームしたのは、大学時代ですから、ソニープレイステーション2をイメージしていただけると分かるかと思うのですが、その時はゲームを中断する時はカードにセーブをした記憶があるのですが、それが一切無く、息子に「?」な顔をされてしまいました(汗)初期設定時に通常のインターネット環境下にあれば勝手に初期設定してくれるというのも驚きでした。


次は、ボタンの数が非常に増えていて、二次元的な映像に慣れている昭和生まれの私は非常に戸惑ったということです。元祖ファミリーコンピュータを両親から小学生高学年で初めて買ってもらった私は十字ボタン、ABボタン、スタート、セレクトボタンしかなかったのに、3Dの画像が当たり前となり、XL、XRボタンボタンも使いこなさなくはならないというのに驚きました(笑)浦島太郎状態です。

「マインクラフト」という土地を開拓したり、建物を作ったりして遊ぶゲームソフトがあるのですが、その立体感覚が掴めず、子どもに教えてもらいながら、ようやくハシゴの乗降ができるようになったところです。


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では、全くついていけないモノかと言うとそうではないのです。「スーパーマリオカート8」というカーレースをするゲームがあるのですが、これには一番最初に出たファミコン時代の「エキサイトバイク」やスーパーファミコン時代(私の高校時代の頃でしょうか)の「F ZERO」とか、私が二次元の画像でしか楽しめなかった歴代のモーターゲーム達が3Dの画像で楽しむことができる!これがすごく魅力的ですね。みんなで楽しめる最新の家庭用ゲーム機としてSwitchをとらえてましたが、今までの約30年のテレビゲーム史を見ているようで楽しいひと時でした。とはいえ、子どもがのめり込みすぎないよう、真面目な話、親が注意しないといけません。子どもに徹底的にゲームさせる教育論も台頭しているようですが、親としては、やっぱり心配ですよね。


北海道の子ども達の冬休みも、もうすぐ終わりですが、今日は私も20年ぶりにゲームできて不思議と懐かしかったし、楽しかったです。





新規出店情報と閉店撤退情報のこと。

 昨日は珍しく自分の仕事関係のことをブログに書きました。

 

私の仕事の中で、どこで新規投資が起きて、どこでお店がなくなったのか、を掴むのはすごく大切なことです。昨日のブログ記事は、書いているうちに感じたことは、新規に新しいお店が出来るという情報は、フリーペーパーであれ、パブリシティを通じた新聞記事であれ、SNS投稿記事であれ、それほど難しくなく情報を入手することができます。おそらく、新規開業の場合は、当然のことながらPRする必要があるからでしょう。

 

でも、あるお店がなくなるという情報は、今まではよほどの老舗でない限り、注意していなければ、情報としては入ってきませんでした。どこかネガティブな情報だからだと思います。この点、SNSというものができたおかげで、そのお店が愛されていればこそ、閉店したり、移転したりという情報もいち早くキャッチすることができるようになりました。もちろん、これに加えて、直接人のお話を聞く、直接環境を見に行くといった形で裏づけをしていくことは勿論大切ですし、他のメディアからの情報受信、収集の重要性は変わるものではありません。

 

でもこの一年ぐらいの間、閉店情報については、SNS経由で知ることが多くなりました。誰とつながっているか、人とのつながりというのが大前提だと思うのですが、過去一年ぐらいの動きを見てみると、私がキャッチしたSNSで発せられた閉店情報はほとんど間違っていなかったです。

 

SNSについては、一部情報セキュリティ上の問題から、慎重な取り扱いが必要だと感じています。年末も記事に書きましたが、正直SNSとの距離感が難しく感じられることもなくはないです。しかしながら、こういった情報収集ツールとしての有用性も一方であり、悩ましい状況が続いています。ツイッターなどからは報道機関さん、行政機関さんも直接発信されており、収集ツールとしては本当に極めて有用ですよね。情報の受け手側に周りがちなのが、ちょっともったいないのかもしれません。いずれにせよ、今は過渡期ということなのでしょうか?

 

今、情報発信ツールとしては、ブログを一番重視しています。自分の仕事上も一番合っているメディアのような気がするのです。今年は、やりたいやりたいと考えているだけで、実行してこなかった有料ブログコンテンツをいよいよ使って1000記事まで到達し、次のステージに進むのが、私のデジタル活用上の今年の抱負です。


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(冬のSL湿原号の季節が近づいてきましたね。去年の写真です)