「恋はみずいろ」を聴きながら

北海道釧路市で不動産鑑定士をしております小原孝太郎と申します。普段の生活を中心に書いてます。

釧路公立大学の公開市民講座へ

今週釧路公立大学による市民公開講座があり、仕事を終えてから参加してきました。私が足を運んだのは、「道の駅から見た観光客の動向分析」。厚岸の道の駅「厚岸グルメパーク」と阿寒の道の駅「阿寒丹頂の里」の観光客に対するアンケート結果を比較・分析したものを釧路公立大学の学生さん達が発表して下さいました。

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昨年まで釧路公立大学に在籍しておられた下山朗先生のお話を直に聞く機会があって、この研究成果のことをぜひ聞いてみたかったのです。

 

「道の駅」という公共性の高い観光資源だけでも、これだけいろいろな要因、特性により選好されるということがよくわかりましたし、丁寧にアンケート項目が分析されておりました。特に「道の駅」マニアと呼ばれる30箇所以上の「道の駅」を訪れた方に絞った分析結果が面白かったです。他所からの視点、広域的な視点からみても、釧路管内の観光というものの可能性が感じられて、実際に詳細な解説を聞くことができてすごく良かったです。

 

中でもすごく意外だったのは、厚岸の「道の駅」が釧路地方以外の観光客の割合が高いのに対し、阿寒の「道の駅」は釧路の地元ユーザーの割合が高いという結果だったということ。普段意識していませんでしたが、数値で結果を見せてもらうと、歴然としていました。違った視点から普段仕事をしているエリアについて見ていくこともすごく大事なことと思いました

。統計アンケートに際しては、天候条件などにも十分配慮されていたとのこと。奈良から足を運ばれた下山先生、そして下山ゼミの学生さん達に心から感謝したいと思います。

 

くしろリデザインプロジェクトのその後。

室蘭の空き家対策の北海道新聞さんの新聞記事を読んだちょうど翌日、参加運営をお手伝いした「くしろリデザインプロジェクト」のその後を聞く機会がありました。私自身は不動産鑑定という仕事柄、中立公平な立場を守るべきと考えておりましたので、具体的な物件選定や家賃設定、投資主体となることは避けて、裏方に徹し、プレゼン以降は他のメンバーに具体的運営をお任せしてきました。なので、その後どのようになったかを知らないでいたのです。


昨日一緒にお手伝いしたある方から聞いた話ですと、残念なことにコンペで提案されたアイデアは今のところ、どれも具体化しなかったようです。

これはある程度予測されたことではありますし、この問題がそれほど簡単なものではないことは、私も承知の上で運営のお手伝いをしてきました。直接的ではないにせよ、別の形、別の展開で起業された方もいると聞いてますので、具体的に行動したこと自体は良かったとは思いますが、結果的に残念なことに、なりました。


私自身も費用や時間を費やして、この活動をお手伝いしてきましたので残念な気持ちも強いですが、今回の運営を手伝っていく中で、自分の仕事(不動産鑑定)の持つ公平性、中立性から、地域活動の中でマチづくり的なものは性質上馴染まないのではないかと思いました。なぜかというと、私達の仕事は特定のエリア、特定の物件の利害関係者のために存在しているわけではないから…そこが、不動産コンサルタントの方や仲介業の方とは、大きく違うところだと思います。

そうは言っても、私の仕事上、とことんフォローできなかったことに後ろめたさを感じていたのも事実です。中途半端な関与しかできないのであれば、今後は関与すべきではないと思っています。地域のためにできることは何もこればかりではなく、本業を通じて行うことも可能なはずだから…私自身今回は器以上のことをしてしまったとの反省があります。これも誰のせいでもなく、私自身の責任です。今回運営を手伝わせていただいた一人として、ご協力、参加していただいた方々へ報告を兼ねて、自分なりの総括を今日は書きました。


今回繋がった方との関係性を大切にすることはもちろん、今回の失敗を糧に、本業やそれ以外のことをしっかりとしていく中で、自分が無理なく出来ることは何かを少し時間をかけて考え直してみたいと思っています。


室蘭の空家問題の記事を目にして

昨日の北海道新聞朝刊の二面に室蘭市の空き家問題に関する記事が大きく出ておりました。空き家対策先進地の室蘭でも、定住人口の減少による空き家増加で、対応に苦慮しているという記事です。

 

カズオ・イシグロさんの作品を読んだばかりのせいでしょうか、室蘭で生活した実体験の記憶が薄れつつある中にあって、過去の記憶として覚えておかなければならないこと、現在や未来のために忘れてはいけないことは何なのかが思い起こされた気がします。今釧路では、中心市街地を活性化させるべく、様々な方々が様々な取り組みがなさっています。また、訪れる観光客数も増えています。だからと言って、定住人口の減少傾向に歯止めがかかったわけではありません。室蘭の最盛期の人口は約18万人。現在の釧路市(阿寒、音別を除く)と隣接のセチリ太地区周辺を合わせた人口とほぼ一致します。

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釧路より人口の少ない室蘭で不動産鑑定の経験を積んだことを感謝すべき時が来るかもしれません。今日の道新さんの記事で、自分が人口減少エリアで一貫して経験を積んできたことの意味がなんとなくわかりかけてきた気がします。私に与えられた「天命」(ちょっと大げさかな…)。これからのために今まで積み上げてきたことが活かせないかを考えていきたいと思っています。

谷崎潤一郎氏「文章読本」を読む。

12月から年末年始バタバタとしていてなかなか本が読めなかったため、積ん読状態になっていた文庫本を一冊一冊読んでいってます。池波正太郎さんの「夜明けの星」を一気読みした次は、谷崎潤一郎氏の「文章読本」を読むことにしました。こうやってブログを書いたり、不動産鑑定を行う際に市場分析や試算価格の調整(いわゆる調整文という部分)で文章力の無さを痛感することが多いので、文豪から何かヒントは、得られないかと、この本を手に取ってみたのです。

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(表紙タイトルもシンプルでカッコイイですね)

前紹介していだいた同じ谷崎さんの作品の「陰翳礼賛」及びカップリング(?)の随筆が非常に簡明で読みやすく、ユーモラスだったのも記憶に残ってましたが、この作品も書き出しから非常に読みやすいです。

「文章とは何か」「文章の上達法」「文章の要素」の三章から構成されています。冒頭、芸術的な文章と実用的な文章との区別はないとの文が出てきます。物事の本質は変わらないということでしょうか、続きも丁寧に読み進めたいと思います。(仕事絡みで書きたい記事もあるのですがうまくまとまらず、読書、国語がらみの記事が多くなってすみません…)

自分の「デザイン」でセンター試験の問題を読む。

一昨日、昨日と大学入試センター試験でしたね。受験生の皆さん、本当にお疲れ様でした。センター試験のニュースを見ると、20年以上前、目標に向かってまっすぐ目標に向かって頑張っていた、どこか純粋だった頃が思い出されます(笑)

 

すっかり大学受験から解放されて久しい私ですが、何年か前からセンター試験の国語、現代文の評論問題に旬の、ネット社会を意識した文章から出題されるようになり、翌日の新聞やネットで文章自体をチェックするようになりました。「教えて君と教えてあげる君」とか「リカちゃん人形のキャラ化」等がすごく印象に残っています。去年と今年は、大学入試らしいちょっと堅めの評論文だったけど(「これからテストを行う」って書き出しに、出題者の方の洒落っ気を感じました)、去年の評論は人工知能を意識していた出題のように思えたし、今年は動画などが広く普及し、デジタル化された講義など何回も再現・復元可能となった最近の世の中の流れを意識した出題だったように思えました。だからこそ、作り手、受け手の「デザイン化」(捉え方、解釈、意味づけ)という見方が大事であるという趣旨の文章でした…受験問題を解くという捉え方(デザイン)ではなく、現代の世相を感じ取るという捉え方(デザイン)の下、評論を読んでしまったので、もしかしたら間違った読解、深読みし過ぎの読解になっているかもしれませんが…

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ほかに、同じ国語現代文の小説の「キュウリいろいろ」(井上荒野さん)の前後も気になったので、通しで全部読んでみたいと思いましたし、二日目・地学基礎の寺田寅彦氏の「茶碗のお湯」という随筆からの抜粋の一節も心に残りました。(ご興味持たれた方はぜひ読んでみて下さい。ムーミンやニルスも話題になってますよね。)

 

自分になじみのない作家さんと新しく出会う場であったり、文系頭に理科系の考え方を取り入れる場として、センター試験出題を自分なりに「デザイン」化してみましたが、センター試験は世相を反映している気がしますし、すっかり大人になってしまった私たち世代が見ても、勉強になって面白いな・・・と今朝、昨朝と思ったのでした。

 

 

 

 

池波正太郎さん「夜明けの星」を読む

カズオ・イシグロさんの作品、世界観にここ数ヶ月すっかり惹きつけられていましたが、ちょっと深淵なテーマのため、深く考えさせられてしまう作品ばかりでしたので、たまに池波正太郎さんの作品を読んでみることにしました(笑)。


「夜明けの星」という作品です。中古品ですが、字も大きくて保存状態も良かったので全然問題ないです。池波正太郎さんといえば「鬼平犯科帳」などのシリーズ物や、「男の作法」「男のリズム」などのエッセイが有名ですが、私はこういう単発の作品も結構好きです。全作品読んだわけではないですが、「男振(おとこぶり)」「さむらい劇場」などの作品が清々しくて、特に印象に残っています。


この作品も、ストーリー展開もスピーディでスラスラと読めます。ワンセンテンスが短く、会話文などの配置が工夫されているので、字でビッシリなページがほとんどないのです。作者は計算しておられたんでしょうね。今日だけでかなり読み進めました。善悪がハッキリしていないこの世界観が好きです。続きが楽しみです。



「遠い山なみの光」の中の不動産描写

カズオ・イシグロさんの「遠い山なみの光」のことを再び話題にしたいと思います。


ブログで振り返ると、約2週間かけて、この作品を読んだことになります。決して閑散期とはいえない時期に時間をかけて読んだ作品ですので、非常にいろいろなことを考えながら、この本を読ませてもらった気がします。終戦直後の混乱期の日本が舞台になっていますが、戦争というものがメインテーマではなく、これから(将来)の自分のために、今まで(過去)の自分を捨てることの葛藤がテーマのように感じています。それは、昨日も書いたので少し置いておいて、今日は、この作品に登場した不動産のことについて書きたいと思います。

 

この作品で、不動産に関する描写で気になったことは、大きく二つあります。

一つは、昨年読んだ「浮世の画家」もそうだったのですが、縁側や三和土(たたき、土間のこと)という記述が何度も何度も登場し、日本家屋に関する記述が日本人の作家さんの作品以上に多く印象的な形で登場していること。

特にうどん屋の三和土(たたき)は何回も何回も登場します。よく考えてみたら、こういう土間という構造は、欧米の方々には、非常に珍しく映るのかもしれません。そんなことを考えてしまいました。

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もう一つは、ラストシーンの母と娘の会話。

この物語、主人公・母娘の自宅の売却をめぐる会話でラストが締めくくられるのですが、その会話が非常にスパイスというか、アクセントになってまして、この小説を全体的に引き締めている気がしました。

主人公の妙子さんは、上の娘が亡くなった事実を忘れたいという気持ちと、生まれ育った日本文化・日本家屋に比べて大きい英国の家を手放したいという気持ちから、家を売りたいと告げたのに対し、末娘のニキは、幼少から両親とともに幸せに生活してきた本拠としての家をすごく大事に思っていて、それを売ることに反対する、そういうやり取りです。その感覚の差というか、親子間の温度差が、非常に印象的に感じました。

家という資産は、個人個人の思い入れというものが非常に色濃く反映するものです。そのことを不動産(鑑定)の仕事をしている私はどこか頭の片隅に置いて仕事をすべきじゃないのかな、そんなことを思いました。

 

素晴らしい作品に出会えたことに感謝したいと思っていますし、人の気持ちや心理を理解するため、やはりビジネス書以外の本を読む習慣があって本当に良かったと思っています。